2023年4月14日号 (通算23-1号)
書籍紹介 「おふくろの味」幻想 〜誰が郷愁の味をつくったのか〜
話題の書籍のご紹介。
「おふくろの味」幻想 湯澤規子著、光文社発行。
「なぜその味は男性にとってはノスタルジーになり、女性にとっては恋や喧嘩の導火線となり得るのか。男女だけではない。世代によっても、「おふくろの味」に対する意識には違いがみられる。その多様性ゆえに、企業の広告戦略の中に組み込まれ、メディアがそれを煽動したりもする。こうした「おふくろの味」をめぐる男女の眼差しや世代のすれ違いはどこから来るのか。本書はその理由を、個人の事情や嗜好といういうよりもむしろ、社会や時代との関連から解き明かしていこうというものである。」(「プロローグ――『味』から描かれる世界」から抜粋)
著者の湯澤規子は法法政大学人間環境学部教授。専門は歴史地理学、農村社会学、地域経済学というが、本書を読むと「幼少期から料理好きだった」ことが分かる。
著者の湯澤氏と私は一回りの年の差があるが、読んでいた本が重なるのが面白い。やはり60年代生まれ、70年代生まれは、このような料理本を読み、雑誌を読んでいたのかと、なぜだか嬉しくなる。
構成は、このようになっている。
プロローグ――「味」から描かれる世界
第一章 「おふくろ」をめぐる三つの謎
第二章 都市がおふくろの味を発見する
――味覚を通じた「場所」への愛着
第三章 農村がおふくろの味を再編する
――「場所性」をつなぎとめる味という資源
第四章 家族がおふくろの味に囚われる
――「幻想家族」の食卓と味の神話
第五章 メディアがおふくろの味を攪乱する
――「おふくろの味」という時空
エピローグ
――一皿に交錯する「おふくろの味」の現代史
学術書のような小難しさもなく、みんなが思い描く「おふくろの味」の謎にせまる推理小説のようだ。「おふくろの味」という言葉、概念がここ数十年で現れ、もてはやされ、そして色々な場面、媒体で使われてきたのか、その「歴史」が分かる。
「おふくろの味」が時代によって現れるメディアの違いがあり、それがそれぞれ狙いを持っていたことを指摘しているのは興味深い。
また、『「おふくろの味」の規範化』という章では、社会学者の村瀬敬子が「一九六〇年代半ば以降、「おふくろの味」が賞揚され、「おふくろの味」と郷土料理/郷土食は、長い間、伝承されてきたものだとされ、女性による伝承が規範化されていった。」との文章を紹介し、興味深い指摘をしていると記す。
村瀬敬子「郷土料理/郷土食の「伝統」とジェンダー ―雑誌『主婦の友』を中心として―」社会学評論 71(2) 297-313 2020年9月
おふくろの味というのは、社会の変化、経済の変化、地域の変化で生まれた言葉、あるいは作られた言葉であり、それを雑誌やテレビという媒体が上手に使ってきたことが見えてくる。言い換えると、「おふくろの味」というのは、ここ数十年で生まれた言葉であり、そもそも「おふくろの味」なんて無いのだ。しかし、誰もが思い浮かべることのできる、あるいは昔っからある言葉、概念かのように誰もが錯覚しているのだ。
私自身の「おふくろの味」は何かを考えた時に、本書冒頭で記されている「おふくろ」という表現は誰が、どのような場面で使うのか、という問いに答えることになる。私の語彙に「おふくろ」はないである。ゆえに「おふくろの味」を問われたら「いわゆるおふくろの味」と断りを入れてしまう。
かように「おふくろの味」という誰もが知っていて、誰もがイメージするであろう食事のことが様々な背景や思惑で活用されている言葉であることが分かってくる。
歴史、地理、文学、そして食、料理と多くのアプローチでこの「おふくろの味」をもっと追及したくなる本だ。そして、同時にこのようなアプローチをすることで、言葉の本質や狙いに目を向ける大切さが必要であることに気付くのであった。
(HAL財団 上野貴之)